Shiunからの手紙

Live different.

iPhone5sは無くなっても、人を信じる心は失わない

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旅で最も大事な道具の一つである、iPhone5sチベット族の放牧民一家にホームステイ中に紛失してしまった。

それで急遽NOKIAのモノクロ携帯を100元で手に入れ、電話は出来るようになったものの、電話以外では全く使い物にならない。正しく充電されないときがあれば、よくフリーズもするし、そもそも自分は電話で話すのはあまり好きではない。

しかし、iPhoneがないと、北京で旅の動向を心配する家族と全く連絡が取れなくなるのは困るので、ひとまず代用の電話番号と安物の携帯を入手したわけだが、片手で扱えるパソコン=スマホに使い慣れてしまうと、ただの電話機能を兼ね備えた昔ながらの携帯には戻れなくなる。なんせ電話の使い道はすでに変わってしまい、携帯は電話するためだけではなく、手のひらに乗って親指で操作できるパソコンと化したのだ。

 

iPhoneを失い、数々の記録や常時ネットにアクセスできるツールがなくなり、いつもはiPhoneを使って綴っているデジタルな手紙(中国徒歩横断記)をここ数日は書けずにいた。
さすがにスマホがないと写真は撮れないし、地図は見れないし、デジタルな旅の記録ができないので、いま滞在している稻城という街で、iPhone5cを成都から取り寄せてもらい買い直すことにした。
ちなみに中国でもやっとアップルのiPhone6が発売され、数々の山岳地帯を抜け、都市部からかけ離れたチベット高原地帯にあるこの小さな街にも、最新のiPhoneがお取り寄せできると聞いて少し驚いたが、最新のiPhoneを入手してわざわざ盗まれるリスクを増やすより、リーズナブルでカラフルなiPhone5cを選んだ(色は白をチョイス)。それでもiPhone5cの価格は3500元(約6万円)と、大きな金銭的な痛手を負うことになった。
 
無くなったiPhoneをめぐり、書き留めておきたいことがある。
 
チベット自治区に入って、チベット族の人たちと接していて気づいたのは、チベット族の多くの人々が"アップルまたはiPhoneラバー"であることだ。スマホの中でもiPhoneは人気があり、最も高価なスマホでもある。だから、つい最近まで最新機種だったiPhone5sを手に持っていると、知り合ったチベット族の人が羨ましそうにiPhone5sを手に取って、旅の写真を見せたりしていた。
 
先日、夕暮れ時になっても泊まる宿が近くになく、持ち水も足りなくなり、ちょうど川沿いで水汲みをしていたチベット族のおばさんに話しかけて「川の水を飲めるか」訪ねたのをきっかけに、その近くでテントを張って暮らすチベット族遊牧民一家の家にお世話になることになった。優しいパパさん、ママさんと、ちょっとやんちゃなお兄ちゃん二十歳と、まだあどけなさが残る十六歳の弟さんからなる一家で、その日のうちに打ち解け、とても親切に接してくれて、僕のことを温かく迎え入れてくれた。
 
そんな中、ホームステイ三日目に、
iPhoneは忽然と姿を消した…。
 
その日、朝ごはんを食べ終え、山に放牧した100頭以上のヤクたちがどこまでいったか見るために、弟さんが運転するバイクに股がって見に行ったあと、いつもは左ポケットに収まっているはずのiPhoneがない!ことに気がつく。自分の記憶では外には持ち出さず、テントの中に置きっぱなしにしていたはずなのだが、どこを探しても見当たらない。
 
すると、ある疑念が頭の中に浮かんできた。
 
「もしかして、お兄ちゃんがiPhoneを盗んだんじゃないか…」
 
なぜそう思ったかというと、お兄ちゃんは僕のiPhoneのパスワードを覚えて、よく僕のiPhoneを借りていじっていた。
 
そう考えたくはないものの、突然あるはずのものが無くなってしまった現状を前に、悪い方に頭が考えはじめ、推理しだしたのだ。
 
その後、バイクで走った道に戻って探したものの、見つかる気配はなく、僕と一家の間に気まずい空気が流れた。
 
簡単に状況はまとめるとこうだ。
  • 自分が100%、外に持ち出していない確証はない。
  • 疑いたくはないが、もしテントに確かに置いてあったのならば、家の中の誰かが持っていった可能性が高い。
  • 家の中とバイクで走った道をくまなく探したが、iPhoneは見つからない。
 
こんな状況の中、僕はある決断をした。
 
「この一家のみんなを信じて、事の原因は、自分が一時的にiPhoneを管理し損ねたがために無くなってしまった事実を受け入れた。」
 
そもそも一家に疑念の目を向けた自分の考えを嫌ったが、最終的に何を信じるか、起こってしまった問題のどこにフォーカスするかで、その先の結果は自分次第で変えられることを、この災難から学び、このように考え方を転換して乗り切ることができた。
 
もし仮に、一家の誰かが盗んだものと決めつけ、そのまま出ていってしまったら、本当の真実は分からないまま、この家族とのご縁を自ら断ち切ってしまうことになっていただろう。
 
僕はiPhone一台で、この一家とのご縁が切れてしまうのは嫌だったし、この一家の誰かを疑い続けることもしたくはなかった。
 
だから、iPhoneを失ってしまったという受け入れたくない事実は、素直に受け入れるしかなかった。
 
 
また少し視点をずらして考えてみれば、逆にラッキーだったのかもしれない。
 
もし一人で山道を歩いている最中にiPhoneを落としていたら、もっと心細い思いをしていたかもしれない。
 
幸い、今回は一家の家にお世話になっていたため、お腹いっぱいに美味しいチベット料理を食べれたし、安心して寝れる場所もあったし、何より自分事のように心配してくれる一家がそばにいてくれた。
 
たとえ自分にどんな災いが降り注いでも、
人を信じる心は失いたくないものだ。
 
 
 
しうんより