shiunからの手紙

Live different.

スマートフォンとパソコンをやめて、1年ぶりにまた使い始めてみて思ったこと

今から一年ちょっと前に、お金とスマートフォン等の電子機器を持つのをやめ、去年無一文で旅をして、今日再びスマートフォンとパソコンを手に入れた。なぜまたこのふたつの電子機器を所有することにしたかというと、今年は、「自分×パソコン」の可能性に挑戦してみたくなったからだ。もちろん、スマフォもパソコンもなければ、いままさにこうしてブログを書くことはできないし、ネットを使って自ら情報発信することはできない。お金もない、電波もキャッチしない生活を約半年間送ってきて、そしてまた使いはじめてみて思ったことがある。


まずネットが常にあって、手の中にスマフォがあると、すぐに何かシェアして伝えようとしてしまう。誰もがスマフォを手にし、FacebookTwitter、その他のSNSを使って、何かしたらシェアするのが一般的になった。普段ならこれが当たり前になっていて、気づかないかもしれないが、久しぶりにスマフォを手にすることで当たり前が特別なことになり、自分の行動を客観視することができた。


では、なぜすぐに何か伝えようとしてしまうのか?

 

それはやはり、いつでもどこでも「つながっている」世界になったことに他ならない。ほとんどの人が自分のスマフォを所持し、どこにいってもスマフォを手放すことはない。そしてつながりがより一段と価値を生むようになった今の時代、シェアすることで価値が生まれる。友達とつながり、自分のことを誰かに知ってほしいという欲を満たし、つながり自体が大きなビジネスとなった。


確かにつながることで、我々が得たものはたくさんあるだろう。

しかし、つながりすぎることで逆に失ってるものはなんだろう。


僕は去年の経験から、つながりすぎると、感じることを楽しむ時間を忘れてしまっていたように思う。あっ、と何か思いついた次の瞬間に各SNSを開き、写真を撮ったり、書き込んだりして誰かにそれを伝える。嬉しいことや、悲しいことや、怒ってること、何か今まさに起こっていることを伝える。そうすることで、誰かから反応があったり、そこから更にコミュニケーションが生まれていく。そうするたびにまた各SNSを開いてチェックして、また書き込むというエンドレスだ。

確かに、覚えておきたい何かを記憶するために、起きたことをメモし残すのは必要だと思う。人間は記録しないとすぐに忘れてしまうので、思い出すために残した記録は大いに役立つ。

でも、あまりにもすぐに残そうとしてしまうと、その瞬間しか味わえない自分が感じている感情をしっかりと感じ取ってあげるということを忘れてしまう。

本当にすぐに記録しないといけないことなのか、忘れてしまうことなのか、

FacebookTwitterにすぐに書き込む前に考えてみる必要がある。

例えば、美味しい料理を食べるとき、食べ始める前に写真を撮ってからSNSに投稿してから食べる必要はあるのか。

または食べている間にSNSをチェックしたり、スマフォをいじったりする必要はあるのだろうか。


僕はスマフォを使わなくなってから、食べるときは、とにかく食べることに集中するようになった。食べ物を味わってゆっくり食べて、美味しいと感じてる幸せな感情を自分の中で循環させる。そして食べた後は、しっかりと食べ物に感謝をし、ごちそうさまをする。そんな当たり前のようなことが、当たり前じゃなくなってきているように思う。

大事なのは、感じることと、伝えることを分けることにあると感じる。
ふたつのことの間に時間を持たせ、しっかり感じたことを感じた上で伝える。
実はこの方が、本当に伝えたいことが伝わったりするのではないかと思う。

そのことに、スマフォを持たなくなったことで気づき、
つながるときと、つながらない時間の両方を大切にできるようになった。

僕は生きることは、まず感じることだと思っている。そしてつながり、伝えることだと思っている。
この順番さえ、しっかり守れれば、やっぱりスマフォがいてくれると大変便利だなと思う。

約一年ぶりにスマフォをまた持って、レストランに入ってお昼ご飯を食べて、
こんなことを考え、レストランを後にした今、書きとめておこうと思ったのだ。

http://instagram.com/p/mo99h_wEr3/

約1年ぶりに森林食堂行ってきた!相変わらずクミさんのつくるカレーがうまい。次食べれるのは何年後かな〜 #森林食堂



感じることと、伝えることをおもいっきり楽しもう!



しうん より