想像力が神をつくる
朝の空気を肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと砂利道を歩きだす。
自然に囲まれた周囲に目を向け、じっくり観察してみる。自然の声に耳を澄ませてみる。
朝からなんて充実した時間なんだろうと思いながら、ある目的地を目指す。
実は、京都御苑の周囲に梨木神社という神社があって、その神社内に「染井の水」という京都三名水の内現存する唯一の名水があることを知って、散歩がてら行ってみることにしたのだ。
そして京都御苑をぬけて、梨木神社境内の井戸水にたどり着いた。
ふと神社内にあった標識が目に入って、ちょっと気になったので軽く流し読みしてみたところ、この神社に天皇が関わっていて、天皇はその昔、中国では最高神の意で神格化した語で、日本でも昔は神様みたいに崇められ、今は平和と日本国および日本国民統合の象徴として崇められている。
そこで僕は考えた。
なぜ人は神を崇めるのか?
それは、神様は見えない存在だからなのではないか。
頭の中で空想され、それがやがて人間ではない完璧な存在として神格化される。
それを自分の中で、自分とは違う人間を超えた存在として確立していく。
なぜそうなっていくか、それは頭の中だけで完成していくからだ。
頭の中で、人間はまず創造する。完璧なものをつくりたがる。
それが理想と呼ばれるものであり、夢と呼ばれるものなのだろう。
では、なぜ天皇が神として崇められたのか。
それは見えないということで、想像力が完璧な存在を頭の中で作り出すからだと思う。
仮に、もし天皇と日々身近で触れあえて、会う機会に恵まれれば、
きっと天皇は神としてではなく、人間として人々に認識されただろう。
実際に姿が見えない、現実世界で会えないということが作用し、
人間が持つ想像力が最大限に活かされて、神というものが姿を表した。
崇められる人は、自分の内をすべては見せてはくれない。
なぜならすべてをさらけ出してしまえば、魔法が解け、
ただの人間に戻ってしまうからだ。
だから崇められる人は、人であることを隠さなければならない。
本当の神様は、神であることを隠そうとはしない。だって神そのものだから。
それはテレビの世界でも同じようなことが言えるで、アイドルや芸能人などの人たちは自分をキャラクター化し、自分の見せ方をつくりあげて守ろうとする。
それって昔に崇められる神化した人に似たようなことを、今のテレビの中やエンターテイメントの世界でもやっているのだ。
結局いまも昔も変わらず、人の想像力というものがこの世界を形づくってきたのだ。
これから、その想像力によって、どんな世界を私たちは築き上げていくのか。
自分の想像力を最大限に発揮して、創造してみたいと思う。