shiunからの手紙

Live different.

死後に誰かの命を救えるなら、ぼくは喜んで臓器提供をしよう

f:id:SHIUN:20151219193018j:image

2012年に新卒で入った会社を5ヶ月で辞めてから、三年越しにようやく国民健康保険に加入した。

これまで国民健康保険なしで、2013年にすべてを手放して無一文の旅をして、昨年は中国徒歩横断3000kmを達成できた。幸い、国保がなくても怪我や病気とも無縁で今日までやって来れた。国やお金という大きなシステムに依存した生活から、ぼくは脱却して自由になりたかった。


お金がなかったら、人は生きていけないのか?

この疑問の答えを知るために、ぼくはすべてを手放して、無一文で旅に出た。約半年間の間、お金を持たずに旅をしながら暮らした。この旅でモノもお金も所有しなくても、豊かに生きれることを体験した。しかし、無一文の旅では完全にお金のシステムから脱却した訳ではなく、人と人とのつながりによって僕は生かされた。


中国徒歩横断3000kmの旅を通して得たもの

中国徒歩横断の旅で、自分の足で3000km歩いて中国の首都である北京から歩き始めて、182日ちょうど半年かかって雲南省昆明にたどり着いた。でも決して自分だけで成し遂げた訳ではない。ぼくは誰かが作ってくれた道路の上を歩き、道の途中で見つけた宿に泊まり、小さな食堂で現地の人がつくってくれたご飯を食べ、応援してくれる家族と友人がいたからこそ最後まで歩き終えたことができた。
一日どんなに頑張って歩いても30,40kmしか歩けず、時速5kmの旅。でも、その制限の中でぼくは自由だった。その時間の流れの中だったからこそ、出会えた人たちがたくさんいた。僕は無一文と徒歩の旅を通して、より謙虚なれた。自分一人で生きているのではなく、多くのつながりによって自分は生かされていることを体験し、感謝できるようになった。


自由に生きるとは、囚われないこと

大きなシステムに依存せず、いかに自立した生活をすることができるか。それによって人は自由を取り戻すことができる。生きること、衣食住とインフラのすべてを国とお金に頼りっきりでは、その間にある“命”のつながりを体感レベルで感じとれない。
だからとりあえず自分自身が囚われていた、お金もモノも全部を手放して飛び出してみた。確かにお金を持たなくても生きていけるのは分かったし、モノもそんなに所有しなくても、豊かに生きれる。でも、全くお金を持たない完全な自給自足の暮らしをするのは大変だし、一切モノを所有せずに生きるのは難しい。この大きなシステムのすべてが悪い訳ではない。いちどすべてを手放してみたことで、自分にとって幸せであるために何が大切で、何がいらないのか明確な判断基準の軸が持てたことが収穫だった。


所有欲は人を不幸せにする

お金も、モノも、身体も、すべて自分の物だと所有しようとすればするほど生き苦しくなる。
大地は誰のものでもないし、自然界では生き物はお互いの「ギフト」与えあって生きている。そして生と死を繰り返して、今日まで命は繋がってきたのだ。人間社会が作り出した「所有」を中心としたシステムの中で、自然の「与え、生かし合う」法則に逆らっている。所有っていう概念が人を苦しめているように思うのだ。


死んでも誰かの命を救えるなら、ぼくは喜んで臓器提供をしよう

国民健康保険証の裏に、簡単に臓器提供の意思表示をする欄があります。

自分の身体は与えられ、生きてる間の借り物に過ぎない。死んでも所有することに執着せず、誰かの命を繋ぎとめることに臓器を使ってもらえるなら死んだときの本望である。



しうんより